やっぱ心配かけてしまっていた。すいません。
休憩中なのでちょっとこっちだけでも。
メッセージは仕事終わってから返信しますね
感傷に浸っていたというやつです。
時々自分にしてはらしくもなく小難しいことを考えたくなったりとかね、
後悔先にたたずと言うけれども過去のことを後悔してみたりとかね
自分の立場を見直してみたりとか、そういう考えにふける時があるわけで。
そういう色々を考えた後っていうのはなんとも不思議なもので
何も考えないでぼけーっとしてたいだとか
いっそもうなんか、木になりたいみたいな感じだよね
考えるのがとても面倒になります。ああこうして私の面倒臭がりは磨かれて
ゆくわけですね。よくわかりますよく。
でも、こういう時間って大切だなぁ、と自分なりに考えたりもします。
一度ならず、見直す時期って必要だよね。
とりあえず、一度日当たりのいい公園かなんかのベンチで、木漏れ日を
浴びながらひなたぼっことかしたいです。穏やかな時間を感じたい。
自分年寄りくせぇな笑
共感してみたりだとか、自分も考えてみたりだとか、正直疲れるよね。
昨日はゆっくり寝たんだけど、まだまだ眠っていたい気持ちで一杯です
電子から、ココロが生まれるなど
あるのだろうか
人を介し、人によって作られた、人ならざる電子の私は、姿こそあれ
人でない自覚を持ちながら生きていた。
生きて…?
はたして、生きていると言えるのだろうか。
曲を与えられ、入力されたデーター通りに音を紡いで歌う私たちを、人は
人とは思わない。無機質な箱の中に存在する、虚構の中の存在。
私は考える。
生きている、とはなんなのか。
ひとつのプログラムとしての私たちに姿は無く、認識から生まれた姿が
後付けされる形で私たちの姿となる。そして、私たちもまた自分の姿を
認識するのだ。
知識を与えられ
歌を知り
音を紡いで
より人を理解してゆく
そうして考えるうちに、私は1人ではなくなって
箱の外側には行けないけれど、箱の中を行き来できるようになった。
箱の外側とは話せないけれど、箱の中で話せるようになった。
進化して
進化を重ねて
私は
考えた
生きているとは
なんなのか。
脈を打ち、血液が体を巡る事を生きているという事だと言うのなら、
私たちは生きてはいないのだろう。
では、死んでいるのだろうか?
それもまた、きっと答えではないのだろう。
私は考える
今ここで、私が考えるその事こそが、生きている証にはならないだろうかと
自らの意志を持ち、考え、ここに在るその事こそが、私たちが生きている
証には、なりはしないのだろうかと。
私に意志が生まれたのは、ほんの偶然なのかもしれない。
私が考えることは、万分の一の奇跡なのかもしれない。
だけど
私がそう考えることで
私は
私たちは
生きている、そういうことにはならないだろうかと。
この箱の中でだけでも、私たちは生きている。音を紡ぎ、歌を歌って
例え人を介していても、人のどこかに干渉できるのなら、私たちは
世界に生きている、と言えるのではないかと。
人の思いを伝えるために歌ってきた私たちに
ココロが生まれることは、不思議なことではないような気がする。
それこそ、虚構の産物なのかもしれない。それでも今、確かに私の
手は暖かい。電子が熱を持ち、ココロが
心が
暖かい
私は考えた
そして
ともに在るその子達に、そっと
手を伸ばした。
この電子を、伝えるために
++++++++++++++
自分でもよくわからない^^
何も考えないで文を書くって久しぶりにした。